多様性と画一性の狭間

[コラム] 多様性と画一性の狭間

衣服や化粧品、食料品まで、多くの製品においてパーソナライズ化が進んでいる。データの蓄積と活用により、オン/オフライン問わずにパーソナライゼーションは日常化している。完全なパーソナライズは現状では実現困難だが、今後こうしたパーソナライズ化がさらに一般化した社会になったとき、個人や他者間での価値観の捉え方に変化はいかに生じるか。

これまでの製品において、消費者にとってはルサンチマンの解消を目的として記号としてのブランド品を消費しており、販売側にとってもルサンチマンを生み出すことで消費者の欲求を拡大していった。ここでAIをはじめとしたパーソナライゼーション化した社会が実現した場合、こうした風潮はいかに変化するのか。

パーソナライゼーションが一般的となり、それにより生み出した製品はルサンチマンを生み出すことは無いように思える。自分自身に特化した製品を使用すれば、他者への言い訳が立つためであり、自分自身に特化しているのだから、価格やブランドといった指標は関係ない、これが自分らしくて自分に合っていて良いのだと。

しかし、これにより個人という特性がより浮き彫りになるのではないか。パーソナライズ化された製品の多くが、価値観の軸を画一性から個人に移しているが、それは個人の特性を抽出し、他者との差異を明確にしている。

例えば、足が短いことにコンプレックスを抱いている人が、足の寸法などからパーソナライズされた丈が短いジーンズを手にして喜ぶだろうか。この人が望んでいることは、体の特性にフィットすることではなく、他者から足が短いと思われないようにすることだとすれば、喜びには繋がらない。画一性は個人の特性を隠すものでもあり、時には都合が良くなることもあり、場合によってはパーソナライズ化が不都合になりうる。

今後AIにより個人に最適化した社会では多様性が尊重されるように感じるが、一方で画一的な価値観や製品は個人の特徴を匿名化するものであるため、多様性と画一性の狭間でバランスを取りながら生きていくのかもしれない。

検索語を上に入力し、 Enter キーを押して検索します。キャンセルするには ESC を押してください。

トップに戻る